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日米ガールスカウト友好の像について

 大きな船の行きかう横浜の港の中に面した、山下公園の中に、美しいバラの花がたくさん咲いている庭園があります。その片隅に、左手で握手をし、右手で敬礼をした少女たちの銅像があります。この少女たちは、ガールスカウトという、世の中の役に立つために、さまざまな活動をする少女たちです。

 銅像の名前は『日米ガールスカウト友好の像』といい、今から半世紀以上前、1962年(昭和37年)3月18日に建てられました。

 銅像の製作者は日本芸術院会員で彫刻家の加藤顕清(けんせい)氏です。アメリカのガールスカウトの50周年と日本のガールスカウトの世界連盟再加盟を祝うため、日米のガールスカウトが協力して記念の銅像を作ることになりました。
 銅像モデルは当時実際にガールスカウトとして活動していた少女たちが選ばれました。当時のガールスカウトの挨拶は右手で三指の礼を額にあてながら、左手で握手をするものでした。

日米のガールスカウトはいろんな方法でお金を出し合うことにしました。花の種やクッキーを売り、ポストカードを作って売ったり、寄付をお願いしたりした結果、日本側は台座の大理石の費用、アメリカ側は銅像の費用を集めることが出来ました。

About Our Project 
プロジェクトについて

横浜港・山下公園の一角に、「日米ガールスカウト友好の像」という三人の少女たちの銅像があります。1962年(昭和37年)3月に、ガールスカウトアメリカ連盟の50周年、ガールスカウト日本連盟が戦後再発足し世界連盟に再加盟したことを記念して、当時の日米のガールスカウトたちがお金を集めて建てたものです。

銅像の制作者は芸術院会員であった加藤顕清(かとう・けんしょう)氏。当時、実際にガールスカウトであった日米の少女3人が銅像のモデルになったのですが、半世紀前のことで、そのモデルが誰であったかは忘れられていました。しかし、2006年にアメリカのガールスカウトのイベント会場で、当時のことについての記事が載った雑誌を見つけたことから2013年春にモデルの少女の消息を探したところ、3人のうち2人が、テキサスと横浜に健在であることが判り、2014年には日本での再会を果たすことが出来ました。この再会までの経緯は、新聞でも取り上げられたほか、「ナニコレ珍百景」というテレビ番組でも「感動の珍百景」として紹介されました。

当時からずっと横浜に在住されている田中紘子さんは、画家として活動されており、この再会の想いを描かれた【日米ガールスカウト友好の絆】という絵が、そして、3人目のモデルだった女性の消息も判り、2016年秋、テキサス州フォートワースで初めて三人全員が顔をそろえました。

このように、100年以上の歴史を持つガールスカウトは、国や年代を越えて友情をつなげることができるのです。

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